2014/04/19

感想『伝説巨神イデオン 接触篇』

 題目『伝説巨神イデオン 接触篇』
これを見た感想を記す。

劇場版のチラシ(らしい)



ロボットアニメには大きく分けて二種類あります。スーパーロボット、リアルロボット。もちろん、これは大雑把に括りに過ぎず、実際はもっと多様な枝葉にわかれます。

リアルロボットの嚆矢といえば『機動戦士ガンダム』が有名です。富野由悠季という監督によって制作されましたが、彼が次に作ったのが『伝説巨神イデオン』。今回紹介するのはその劇場版、二部構成の前編にあたる物語です。

(ハッキリ言って、ロボットアニメ界隈では有名すぎる作品。書籍やネット中に感想・考察がまき散らされていますが、まあここでは私なりに書いていこうと思います)

今作は宇宙を舞台にしたロボットアニメです。既にアニメが放送したあとの劇場版で、恐らく劇場公開時に見にいった方は、その舞台を分かった上だったのでしょう。だからといって状況説明をないがしろにしてはいけません。

まず映画が始まって最初のシーンは、星々がまたたく宇宙空間に、見たこともない宇宙戦艦が現れます。この宇宙戦艦は、我々が知っているスペースシャトルとは美的感覚がまるで異なる外観なので「あ、異星人の乗り物だ」と一目瞭然。この時点で、地球よりずっと遠い宇宙空間での出来事だと分かりますね。

美しい宇宙空間のシーンがしばらく続いた後、タイトル表示"THE IDEON"という異様に歪んだ文字が踊る。なんでこんなサイケデリックなデザインにしたのか想像がつかないですね。無理やり解釈するとしたら、イデオンという物語は、このタイトルくらい歪んでいるんだよとでも教えてくれているんでしょうか。

(もしかしたら、旗に印字された文字を表している? 旗がはためいているから、文字も歪んでいる。そんなイラストを見かけました)

 右のイラストは旗に注目

ようやくストーリーが動きだし、キャラが画面に現れます。異星人の宇宙戦艦を用いる異星人たち。今作における敵といえる者たちですが、まずは彼らから描いていく。劇場版という限られた尺の都合もあるでしょう。しかしこれによって、敵と味方両方の視点を、視聴者に示します。

この通り、今作では敵も味方も入り混じってシーンが展開していくため、どちらが悪でどちらが正義なのか、視聴者の裁量にゆだねられるといってよいでしょう。ようするに勧善懲悪でないのですね。しかしここでは分かりやすさを重視して、敵や味方という呼び方をさせてもらいます。

勧善懲悪ではないといってガッカリする人はいるでしょう。だって非勧善懲悪をうたっている作品って、無駄に悪役のほうに感情移入させたがったりして、安っぽくなるし……イデオンにそんな心配は無用だと言っておきましょう。敵の事情も、味方の事情も、しっかりと伝えてくれます。

異星人、すなわちバッフ・クラン人。彼らはある目的でロゴ・ダウという惑星を調査しにきました。しかしそこには先客がいて、これが今作の味方であり主役でもある、ある惑星からの移民団です。

ある惑星と書く理由は、実は今作では味方の人類が地球人なのかどうか、示されません。自分たちの母星を"地球"と呼びます。しかしそれはバッフ・クラン人もです。つまり味方の人類が、視聴者たる我々と同じ地球人であるとは限らない。まったく別の銀河、別の惑星に住む、人類かもしれない。しかしややこしいので劇中では単に"地球人"と呼ばれます。

この設定はSF的になかなか面白いですね。物語に出てくる人類が、我々の知っている人類とは限らない。「お前らだけの宇宙じゃないんだよ」という冷めきった感じが、実にSFらしい。

ロゴ・ダウの星において、地球人とバッフ・クラン人は戦うことになってしまいます。戦いは、宣戦布告がされたわけではありません。どさくさに紛れてバッフ・クラン人の中でも好奇心旺盛な女性カララ・アジバが、地球人に会いたがるために無断でロゴ・ダウへ降りていく。

バッフ・クランの軍人はそれを追いかけていく。しかしほかの知的生命体との接触はさけたい。が、レーダーに捕捉されてしまったので、やむなくレーダーを破壊しようとします。ところがバッフ・クラン側の味方がそれを攻撃開始だと勘違いして戦いはじめる。地球人側はもちろん反撃をはじめる。

カララは戦いの混乱を利用して地球人側にもぐりこんでしまったり。そのせいで地球人の憎しみの矛先がすべてカララに向くわ、カララを助けようとしてバッフ・クラン側の攻撃は激しくなるわ……

ひどい悪循環ですね。本当に些細な勘違いから戦いが起き、それはやがて宇宙をも揺るがす戦争になっていく。勘違いによるもつれ合いを無視しないのは、富野監督の特徴的な人物の描き方ですね。

バッフ・クランの攻撃が始まったとき、それから逃れるためにある若者が発掘地に逃げ込んでいきます。今作の主人公ユウキ・コスモです。ここでコスモと会話していたモブキャラが数秒で死にます。こんな風にあっけな死んでいくキャラは、これから先無数に出てきます。覚悟しておきましょう。

コスモは仲間とともに、イデオンと呼ぶ複数の発掘品に乗りこんで動かそうとします。そう、今作の主役メカはなんと未知の惑星から出土した、未知の発掘品です。しかも、まだ調査が済んでおらず、ほとんど何も分かっていない状態という有り様。

コスモ含めた主役たちは、イデオンが動いてくれるのかどうかと、不安にさせる会話をします。あるキャラなんかは「動いてちょうだい」と言って、いざ動き出したら「動いてしまって……」と言っちゃう始末。本当に動くとは思っていなかったわけですね。

とにかくイデオンに乗った者たちは、みな口をそろえて動かし方が分からないだの、勝手に動くだのと、言います。この状態は、すくなくとも今作では最後まで続いていきます。イデオンという存在が、徹底的に未知のものとして描かれる。味方であるはずのイデオンは、正体不明なあまり、恐ろしささえある。何が起きるか分からない腫れモノ。しかし、そんなものしか頼るものがない。

イデオンが未知の存在であることを示す描写はもっとあります。イデオン内部の操縦桿や計器類は、実は地球人が発掘した後に取りつけたものなんですね。本来の操縦方法は分かっていない。わーお……けど、まだ未知アピールが足りないと思ったのでしょう。コンピュータなどの制御系すらないと発覚します。

「イデオンって、いったい何で、どうやって動いているんだ? そもそもロボットなのか? 機械なのか?」

ここからは復活して複数のメカが合体して、巨神と化したイデオンがバッフ・クラン相手に暴れ回ります。味方さえ怯えさせるほどに強大な力を現します。そうして同じく発掘品であった宇宙戦艦ソロ・シップともに、宇宙へ逃げだしていきます。壮大な逃亡劇の幕開け。

ところで、音楽がよいですね。音楽担当はゲーム『ドラゴンクエスト』でお馴染み、すぎやまこういちです。彼がもつ雄大なメロディがあますことなく発揮されています。しかも雄大なだけではなく、イデオンという強力すぎる力を描くため、恐ろしさ・無常さも含んだメロディなんですね。

こんな風にして、冒頭の数十分は本当にあっという間に進んでいきます。劇場版だから展開が凝縮されているというのもありますが、なにせ、キャラのやりとりが弾むように面白い。それは、アニメのキャラが台本片手に演じているというより、アニメのキャラがその場で動き回っているという感じです。

なぜこんなに躍動感があるのでしょうか。説明的な台詞だって多いのに、なぜでしょうか。私が思うに、キャラがあくまで、その場にいる自分たちだけのために会話しているから、でしょうか。

説明だって、視聴者のためというより、キャラが他のキャラに教えてあげるために口にしている。このため、台詞だけでは何を伝えたいか分からない場合も多々あります。文字通り「現場の声」ですね。しかしそれが、唯一無二の生々しさを生み出している。

これはファンの間では富野節と呼ばれています。イデオンでは冒頭から、富野節をたっぷり味わうことができます。

また、ここで気付いたことを一つ。主人公のユウキ・コスモは、どうも真面目すぎますね。それは堅物というわけではなく、熱血漢というわけでもない。作中での出来事に対しての姿勢が、常に真面目すぎるんです。ガンダムの主人公アムロ・レイから、ナイーブな面だけ取り払ったような感じといいましょうか。

地球人の逃亡劇、そして合間合間で起きるバッフ・クラン人との戦い。イデオンは実にどっしりとした戦いを見せていきます。近づかれれば殴り倒し、離れれば体中に搭載したミサイルをどれか放つ。宇宙空間であっても直立していて、事務的に対応していく。やはり不気味ですね。

イデオンのミサイル発射シーンは、ロボットアニメファンなら目を光らせるでしょうね。煙の尾を引きながら飛んでいくミサイル、そんなシーンがたんと登場します。特にイデオンがミサイルを体中から一斉発射する瞬間はよい。体中から光線がのびる構図で示されます。これは、ミサイルが高速すぎて、その軌跡が光線のように見えてしまっているんですね。

ミサイルを光線状に描いてしまう奇抜さが受けたのか、他作品でオマージュや再現がよく行われています。OVA『トップをねらえ!』に出てくるガンバスターというロボットが、ほとんど同じ構図を披露します。ゲーム『第3次スーパーロボット大戦α』に伝説巨神イデオンが参戦した際は、ミサイル一斉発射を攻撃として用いてくれます。

光線に見えるものがミサイル

このイデオンの動力源が、イデの力と呼ばれるわけですが、それの伝承についての話もあります。バッフ・クラン人に伝わる神話です。ある英雄がお姫様を助けるために怪物に挑むのですが、イデの果実を口にして得た力を用いる。倒せば英雄はお姫様を救いだせます。ところが倒せなければ、英雄は怪物もろとも死んでしまう。

イデの神話によると、うまくいかなければ、敵も味方も滅んでしまう。では、さて、地球人とバッフ・クラン人は、うまくいくでしょうか。こんな戦いが起きて、様々なすれ違いが起きてなお、うまくいくのでしょうか。この神話は、イデオンという物語の結末を暗示しています。

おとぎ話と照らし合わせて、物語の結末を暗示させる。……という手法は、ありがちではあります。ただ、理解しやすいのでよしとしましょう。

不安しか起こさせないイデの力を、詳しく調べることになるんですが、そこではじき出された数値は無限大∞を示す。無限の力は言葉通りの意味で、尽きることがないし、一度に吐き出す量も無尽蔵。それがよく分かる一面をイデオンは表してくれます。それがイデオンソードです。

イデオンソードはイデオンの両腕の袖とも言える部分から、エネルギーの束が解き放たれる。ソードと言うと『スターウォーズ』のライトセイバーや、ガンダムのビームサーベルを思い出すでしょう。しかし作中で表現されるソレは、ビーム砲に近いですね。エネルギーの束が無限大に、どこまでも伸びていくわけです。

イデオンソードが相当強力であることは作中の演出や、キャラの驚く演技ですぐ分かります。特に分かりやすいように"震え"という言葉が用いられていました。「何のエネルギーの震えだ」と。エネルギーの強さが、地震のような感じに伝わってくるのでしょうか。あるいは音楽ライブの、けたましすぎる音圧めいたものでしょうか。ともかく、想像しやすい表現をしてくれて、助かりますね。

この想像しやすい表現というのが、富野節の特徴でもあります。富野節では至る所、あえてやさしい言葉や、分かりやすい言葉が用いられます。SF作品としては、お堅い言葉で雰囲気を盛り上げるべきではありますが。彼としては、分かりやすさを重視したいのでしょうね。またその分かりやすい言葉というのが、既に話した「現場の声」的な雰囲気をいっそう高めているわけです。

さて、接触篇は、地球人とバッフ・クラン人の開戦から始まり、地球人の逃亡、そして徐々に見えてくるイデオンの驚異的な力。これらの描写で終わって行きます。様々なすれ違いやしがらみが生まれて、増えていき、もはや取り返しがつかなくなっていく。行きつく先は何なのか、それは後篇に期待ですね。



結論。
『伝説巨人イデオン 接触篇』は、宇宙を舞台にしたロボットアニメではあります。しかしその内容は、見知らぬ文明同士が出会った場合どうなってしまうか、そんなシミュレーションをもっとも悪趣味な方向へ進ませた物語となっています。人々は憎しみあい、罵り合い、銃を向け合う。そして引き金は遠慮なく引かれてしまうのです。

シミュレーションを動かしているのは何なのかというと、主役機であるはずのイデオンに他なりません。たった一個の機械が、何十万、何百万人もの運命をねじりまわしていきます。そういう意味で、このイデオンというロボットは実に印象的ですね。

また、富野由悠季の雰囲気を味わうのにも、オススメですね。彼によって描きだされる、痛快な会話劇は、目を話す暇をあたえてくれません。そのテンポよすぎる会話劇によって、ドロドロしすぎた人間模様が描きだされていきます。考える隙さえ与えられず、人々の身勝手さを見せつけられるのは、圧巻としか言いようがありません。

これで終わり。
後ほど、後篇の『発動篇』も、感想を述べます。

余談。
イデオンに関して興味深い考察を述べているサイトを発見。のせておきます。
  [イデオン論]
  http://homepage3.nifty.com/mana/ideon.html

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