2014/04/24

感想『伝説巨神イデオン 発動篇』

 題目『伝説巨神イデオン 発動篇』
これを見た感想を記す。

劇場版のチラシ(らしい)



既に接触篇の感想は述べています。それが前提の感想。
***接触篇の記事はこちら***

今回は画像ナシで味気ない点に注意。

イデオンのアニメ版は結末を迎える前に打ち切りになりました。劇場版の発動篇では、その結末を描くことに重点が置かれているようです。「この映画はそういうポジションだ」ということを前提にしないと、分かりづらい映画になってしまうことでしょう。そして私はアニメを見ていないので、そういう視点で見ることになります。

まず冒頭は、キャラル星という場所から始まります。地球人の移民星ですが、接触篇では一度も名前が出てきていない。しかもコスモがキッチンという女性と仲良くなっているし、そのキッチンも数分で死亡します。この時点でアニメ未視聴の人間にはポカン。

キッチンは映画の終盤にとある形で再登場します。恐らく終盤との整合性を取るため、こんな形とはいえ顔を出しておく必要があったのでしょう。

次はスタッフクレジットと共にコスモたちが繰り広げてきた中盤のストーリーがダイジェストで流れていきます。まさしくアニメを見たこと前提の作りで、情緒の欠片もありません。このダイジェスト内にも、終盤にとって必要なシーンが含まれています。

そう、今作の欠点はここにあります。中盤のストーリーがすべて省かれていることです。中盤のストーリーは、登場人物の人間関係の変化、気持ちや決意がかたまっていく姿を描写する、大事な要素です。イデオンとて例外ではありません。

今作では中盤が省かれている。だから作中の人物たちの活躍を、追体験できていない。彼らがなぜそこまで頑張っているのか、漠然としか分からない。コスモ含めたソロ・シップのメンバー、バッフ・クラン側ではハルルにドバも。なんだかよく分からないけど頑張っている。

肝心のストーリーの話に入りましょう。

ストーリーは、ソロ・シップメンバーが故郷たる地球や、移民星からも邪魔もの扱いで安全な逃げ場がない状態から始まります。バッフ・クランはイデオンの脅威を散々教えられているため、銀河単位での包囲網を敷いて根絶やしにするつもり。この包囲網で繰り広げられる戦いが、今作の全てです。

作中において、イデの力は単に強力なエネルギーをもたらすというだけに留まりません。ソロ・シップにいたカララとジョリバは、突然にイデの力によって敵陣のど真ん中にワープさせられます。そこでバッフ・クラン軍総司令官のドバと対談することになる。どうやらイデは、その対談で仲直りしてほしかったみたいですね。もちろん結果は決裂に終わります。

またコスモや他の人物の声が、テレパシーのように敵や味方に広がるという出来事も起きます。ガンダムにおけるニュータイプ能力の描写に似ています。しかしこれも結局、双方が溜めていた不満をぶつけ合うだけに終わります。「分かり合えないのなら直接話しあえよ」……というイデの世話も、感情に縛られた人間には意味がありません。

包囲網については、映像はなく言葉でしか説明されません。しかしバッフ・クラン軍の追撃が絶えずソロ・シップに襲いかかってくることで、それは表現されていると言えます。接触篇では安全地帯だと思われていたソロ・シップも、今作では風前の灯火。

幾度となく繰り広げられる艦隊戦、白兵戦まで起きてソロ・シップ内外は敵と味方が入り乱れます。白兵戦は銃と、ライトセイバーみたいな武器が用いられ、目を惹くものがあります。ほんの少しだけチャンバラ劇を見ることができます。イデオンが大味な戦いしか披露できないから、せめて人間だけでもチャンバラさせようとしたんでしょうか?

宇宙空間での白兵戦も見事なものです。カメラの動かし方や、人物の動き方がよい。無重力感と、あらゆる方向を意識させられる。実際に無重力下での戦いがどうなるか私には分かりません。しかし少なくとも地上ではありえない戦いが見られるという点で、気持ちがいいですね。

ところで、気になった点が一つ。白兵戦の最中でコスモが敵を撃ち抜いて「我ながらよく当たる」と言うんですが、とても奇妙なセリフです。そもそもコスモの射撃技術について、まったく説明されていません。腕前がよいということが予め分かっていたら、この自慢げな感じも納得できるんですが……私にとって妙にひっかかるセリフ。

セリフといえば、今作で注目するべきはバッフ・クラン側でしょうね。ソロ・シップのメンバー以上に、彼らのセリフは人間身が感じられて、惹きつけられてしまいます。

例えばハルルという女性は、今作では常に前線に立ち続けて、大きな印象を与えてくる人物。彼女は二人の女性の部下をもっていますが、その二人との会話が実によい。戦いの場特有の話題でありながら、あたかも日常会話のような気さくな雰囲気。

また、ハルルは要塞の自室にて父のドバとも会話をします。会話のはじまりはドバが「女らしい部屋だな」といった、距離を測ろうとしているセリフから。親子の距離感が、目に見えてくるようではありませんか。

二人の会話の内容は、これもまたドロドロです。ハルルは愛していた人(ダラム・ズバ)を殺された私情でソロ・シップメンバーを討とうとしている気振りがある。ドバはあくまで軍人として戦ってほしい。
「私はお前を女として育てた覚えはない」
ドバのその言葉にハルルは力強く応えてみせますが、ドバが部屋からいなくなったあとにうずくまって呻く。
「ダラム、助けて……」

軍人としてあり続けなければならない立場、しかし女性でもありたい。だから今は亡きダラムに、救いを求める。かつて自分を女性として認めてくれた人だから、この苦しい現実から解き放ってくれるかもしれないのも、やはり彼しかいないのです。

ドバはドバで、面白い人物ですね。一見すると今作のラスボスめいてはいます。さて言動を見てみると、結局彼も人間に過ぎないのです。

ドバはギンドロという貴族との会話をたびたび見せます。ギンドロはオーメ財団代表であり、いわば資金源ですね。二人の会話もそういった政治的な会話が中心です。この会話はソロ・シップメンバーとは、つまり本編とはほぼ関係ありません。本編と関係ない会話というのが、生々しさもあってよい。

ドバはバッフ・クラン星を守るという大義名分をもってはいます。しかし実際には、そこに私情がある。カララとハルルにまつわる、父親としての感情です。地球人のせいで大事な娘をメチャクチャにされた、その落し前をどうしてもつけたいわけです。

実は彼にも戦いが無意味であることが分かっているのです。ソロ・シップメンバーと戦う内に、イデの力が求めていることに気付いてしまう。それが戦いを続ければ避けられないことだと気付いてしまう。けど、感情が戦いをやめるという選択肢を許さない。

ソロ・シップメンバーだって、イデの力に気付いています。主人公のコスモだってそうです。敵味方双方が、戦いの末路が分かっているのです。それでもやめることができない。視聴者たる我々は、その様を見ていることしかできない。本当に、むなしいやら、哀しいやら。

この物語は破滅的な最後を迎えます。このピリオドについて細かいことは伏せましょう。要約すると、人類に愛想を尽かしたイデは今の人類を消して、新たな人類を作りだそうとするのです。

全滅エンド、バッドエンド、様々な言われ方があります。しかしハッピーエンドと捉える人もいます。それは無理もないことで、なにせ新たな人類が生まれようとする場面は、とても希望に満ちた見せ方なんですね。

人によっては投げっぱなしの終わり方だとも思えるでしょうね。ドリフターズのコントのように、何が起ころうと最後にセットを壊せばハイおしまい。そんな風に見えるのも間違いではありません。

しかし今作に関しては明らかに、作中で破滅へのカウントダウンが刻まれていました。バッフ・クランに伝わる神話という形で破滅を匂わせもしました。どちらが死んでもいいように、どちらともよく描かれていました。お膳立てはバッチリなんですね。だからこんな形でも、受け入れることができる。

というより、これ以外に受け入れられる結末がないと言うべきでしょうか。ソロ・シップメンバーが全滅したとしても、バッフ・クラン側を撃滅したとしても、両者が和平を築いたとしても、私はきっと納得できなかったでしょう。こんだけ掻き回しておいて、それはないだろ?……。



結論。
発動篇は、アニメを見ていること前提の構成であるため、すこしオススメしづらい。前作たる接触篇が早足ながらきちんと描かれていた分、その点が残念。もし今作を見たいという方は、体力があるのなら、アニメを見てからのほうがよいでしょう。

アニメを見ていない方は、発動篇だけでは完璧に楽しむことは難しいでしょうね。映像は悪くはないけどキャラの動きが不明瞭なので、見ていてどうしても気持ちがよくない。映画作品として単体で見た場合、発動篇は褒められるものではありません。

反面教師としての価値は高いです。物語の最初と最後だけを切り取って成立するわけがない。とても当たり前のことではありますが、こうやってまざまざと見せつけられて、改めて気付かされる。

とはいえ、物語の大胆な進み方と終わり方は、一見の価値があります。ロボットアニメという立場を用いていながら、様々なアイテムを用いてSFを描き切っている(この記事にほとんど書いていませんが)。こういう破滅的な終わらせ方でも、うまくやれば立派な締めにできるんだと教えてくれる。興味深い作品でした。

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